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新潟地方裁判所 昭和60年(ワ)717号 判決 1992年6月18日

原告(一)

甲野太郎

原告(二)

甲野良子

原告(三)

甲野一朗

右原告(二)・(三)法定代理人親権者父

甲野太郎

原告(四)

乙山弘子

右原告ら四名訴訟代理人弁護士

馬場泰

被告

社会福祉法人恩賜財団済生会

右代表者理事

斎藤権八

右訴訟代理人弁護士

伴昭彦

右訴訟復代理人弁護士

伊津良治

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野太郎に対し、金一九二二万三一四三円及び内金一七一七万八一四三円に対する昭和六一年一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告乙山弘子に対し、金三八四万四六二八円及び内金三四三万五六二八円に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告甲野良子及び原告甲野一朗に対し、それぞれ金七六八万九二五七円及び内金六八七万一二五七円に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告甲野太郎(以下「太郎」という。)は、訴外甲野花子(以下「花子」という。)の夫、原告乙山弘子(以下「原告弘子」という。)は、花子と訴外乙山巖との間の嫡出でない子、原告甲野良子(以下「原告良子」という。)及び原告甲野一朗(以下「原告一朗」という。)は、花子と原告太郎との間の子である。

(二) 被告は、恩賜財団済生会新潟総合病院という名称で、産婦人科及び耳鼻咽喉科などを備える総合病院(以下「被告病院」という。)を経営している。

2  花子が子宮全摘手術を受けた経緯

(一) 花子は、廣川病院において、昭和五八年九月ころ、子宮筋腫が増悪していると診断され、同年一〇月一〇日、同病院に入院し、同月一一日、執刀医廣川勇(以下「廣川医師」という。)及び麻酔医高橋隆平(以下「高橋医師」という。)らにより、子宮全摘手術(以下「本件子宮全摘手術」という。)を受けた。手術は、同日午後五時四五分から午後九時一五分までの三時間余りにわたって行われ、子宮全摘手術自体は、概ね円滑に完了したが、花子は、麻酔から覚醒して病室に戻ったころから喘鳴、嗄声とともに喉の痛みを訴えた。

(二) 花子は、同月一二日、廣川医院において喉の炎症を抑えるために漢方薬などの処方を受けたが、前記喘鳴及び喉の痛みは消失することなく、却って増悪し、また、痰がからみ、呼吸困難になったほか、薬剤を嚥下できずに吐き出すこともあった。さらに、同月一三日も花子の前記症状はますます増悪する傾向を示し、同日夕方から花子は、非常な苦悶を訴えて呼吸困難の状態となり、さらに同日夜には重篤な症状となって、午後九時過ぎ救急車で被告病院に転院した。

(三) 花子の前記症状は、本件子宮全摘手術の際に行われた気管内挿管による全身麻酔(以下「本件麻酔」という。)の際に、気管内チューブが花子の喉頭気管部を刺激、又は傷害するなどして術後間もなく偽膜性喉頭気管炎を発症させ、同月一三日以降、右喉頭気管炎が増悪し、右炎症部から産出された偽膜や浮腫等によって花子の気管喉頭部が狭窄ないし閉塞されたため生じたものである。

3  被告病院における治療経過

(一) 被告病院への転院時、花子は、喘鳴と呼吸困難で著しい不穏状態(興奮状態)にあり、全身を震わせて苦悶し、また、喉に痰がからむ状態で痰状のものを喀出し、昭和五八年一〇月一三日の夜は、呼吸困難、喘鳴及びこれらによる苦痛が著しく、花子の症状は、重篤な状態で推移した。

(二) 花子は、同月一四日、依然喘鳴及び喀痰が続いていたものの、呼吸困難の症状が軽快し、「昨夜は死ぬかと思った。」などと話していたが、同日夕方から再び喘鳴及び呼吸困難が増悪し、同日午後六時三〇分の医師の診断の際には、なお意識はあったものの幻覚を訴え、また、「マンガが落ちてくる。」などと意味不明な発言をするなどの意識症状が現われていた。そして、その後はさらに症状が悪化し、花子は、オピスタンの投与などで苦痛がおさまった一時期を除き、「喉を切ってくれ。」と再三にわたって苦痛を訴え、遂には苦痛に堪えかねて「舌を噛んで死ぬ。」などというに至り、付き添っていた原告太郎らが花子の症状を説明し、再三医師の診察・治療を求めたが、被告病院の看護婦が花子にオピスタン、コントミンといった効果の強い鎮痛剤を注射したのみで、医師による診察をしなかった。

(三) 花子は、同月一五日の朝方には意識不明の状態となり、午前七時過ぎ一時覚醒し、著しい呼吸困難と苦痛を訴え、喉の切開と呼吸困難の改善を求めた。これに対し、被告病院では同日午前七時四〇分ころ、花子にコントミンの注射をしたが、その後、花子は、偽膜性喉頭気管炎による喉頭気管部分の狭窄ないし閉塞がさらに増悪し、同日午前八時二〇分ころ激しく全身を痙攣させて呼吸停止の状態となり、原告太郎らの急報により駆け付けた医師や看護婦が人工呼吸を行い、約二五分後挿管によって漸く自発呼吸を生じさせたものの、花子は、低酸素による不可逆的な脳障害(以下「本件脳障害」という。)に陥った。

(四) その後、花子は、意識が戻ることなくいわゆる植物状態となり、同五九年九月二三日まで治療を受け、同日死亡した。

4  本件脳障害の発生した時期

花子は、本件麻酔の際に行われた気管内挿管を契機として偽膜性喉頭気管炎に罹患したため、花子の喉頭気管部に偽膜が発生し、偽膜が花子の喉頭気管部の気道狭窄又は閉塞の状態を生じさせた。そして、昭和五八年一〇月一四日午後六時三〇分以降これが次第に増悪して、同月一五日午前八時二〇分、花子に呼吸停止を生じさせ、回復措置が講じられるまでの間低酸素状態が継続した結果、花子は、不可逆的な本件脳障害に陥った。

5  被告病院との診療契約の締結

原告太郎及び花子は、被告病院に転院後間もなく被告との間で、気管支喘息様の呼吸困難を起こしていた花子の不穏状態(興奮状態)を鎮静し、呼吸停止、換気(循環)不全などによる重篤な事態に至ることを防止するとともに、その原因である偽膜性喉頭気管炎を治療し、併せて子宮全摘手術後の術後管理をして花子の健康回復をはかる医療行為を行い、原告太郎及び花子がこれに対し報酬及び費用を支払うことを内容とする医療契約(以下「本件医療契約」という。)を締結した。

6  被告の債務不履行

(一) 被告病院の医師らは、昭和五八年一〇月一三日午後九時三〇分ころ、花子の入院に先立って廣川医師から経過説明を受け、さらに入院当時の花子の症状や検査結果から判断して、遅くとも同日午後一一時三〇分ころには喉頭浮腫による呼吸困難の可能性が最も強く、花子の症状は、重篤な状況にあるとの診断に達することができたのであるから、かかる場合、花子に対する血液ガス分析を随時行って代謝の状況を把握するとともに、血液ガス分析の結果及び花子の全身状況に鑑み、適宜相当な呼吸補助や輸液などの循環の支持療法をすべきであったのにこれらの処置を怠った。

(二) 被告病院の医師らは、耳鼻咽喉科や外科などの医師と共同し、必要によっては、部外の医師らの応援を得て、喉頭鏡や気管支鏡等を用いて花子を診察し、右症状の発生の経過、部位、症状から遅くとも同月一四日の時点では、喉頭気管部の炎症と右炎症等による浸出物や粘膜などの固まりかあるいは浮腫などによって花子の気道に狭窄が生じ、その増悪傾向が懸念されるとの判断をすることができたものであるところ、同日夕方以降、呼吸困難が再発して継続し、同日午後九時三〇分には花子の呼吸促迫が一層顕著になったのであるから、その原因が炎症等による偽膜や浮腫等による気道閉塞によるものであることを予見し、血液ガス分析を行う一方、右検査結果及び全身状態をみて、適宜挿管や気管切開、人工呼吸等の呼吸補助、輸液等の循環の支持療法をすべきであったのにこれらの処置を怠った。

(三) 被告病院の医師らは、同月一四日の深夜から、花子の呼吸困難が一層悪化したのであるから、血圧ガス分析を頻繁に行うことによって花子の換気、循環状態を診断し、全身状況、血圧及び呼吸の抑制を早期かつ十分に把握し、適宜人工呼吸、輸液、昇圧剤等で循環の維持を行い、さらに心停止に備えて心マッサージ、人工呼吸などの体制を整え、心停止に備えるべきであったのにこれを怠り、原告太郎ら花子の家族の再三にわたる訴えがあり、看護婦も深夜、明け方の二回にわたって、被告病院の医師らに電話で状況の報告をしているにもかかわらず、漫然とオスピタンとコントミンを異例の頻用で交互投与するように指示しただけで、同夜を乗り切ろうとした。そして、殊に同月一五日午前七時四〇分ころには人工呼吸、気管内挿管を行い、これが功を奏しない場合には、気管切開等をして換気の確保をはかるべきであったのにこれを怠った。

7  損害

(一) 花子は、前記の子宮筋腫以外には何らの疾病のない昭和一八年六月二日生まれの健康な女性であったところ、被告の本件医療契約の債務不履行(以下「本件債務不履行」という。)により、前記のとおりいわゆる植物人間状態となり、同五九年九月二三日死亡した。

(二) 損害額

(1) 逸失利益 一八三五万六二八六円

花子は、本件債務不履行当時、四〇歳であり、主婦業に専念していたところ、本件債務不履行がなければ、六七歳まで二七年間稼働し、その間、少なくとも一年間に昭和五八年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計の四〇ないし四四歳の女子労働者の平均年収額である二一八万四七〇〇円の収入を得ることができるはずであった。そこで、右収入額から生活費として五〇パーセントを控除し、ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して花子の逸失利益の現価を計算すると一八三五万六二八六円(円未満切り捨て)となる。

2,184,700円×16.8044×0.5

=18,356,286円

(2) 慰謝料 一六〇〇万円

花子が、本件債務不履行によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては一六〇〇万円相当である。

(三) 権利の承継

原告らは、花子の死亡により、法定相続分に従って花子の被告に対する前記損害賠償請求債権をそれぞれ相続により承継した(原告太郎が二分の一、原告弘子が一〇分の一、原告良子及び原告一朗が各五分の一)。

(四) 原告らの固有の損害(弁護士費用)

1  原告太郎 二〇四万五〇〇〇円

2  原告弘子 四〇万九〇〇〇円

3  原告良子及び原告一朗 各八一万八〇〇〇円

よって、原告らは、被告に対し、民法四一五条に基づく損害賠償として、原告太郎は一九二二万三一四三円及び内金一七一七万八一四三円に対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年一月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告弘子は、三八四万四六二八円及び内金三四三万五六二八円に対する右同日から支払済みまで右同割合による遅延損害金、原告良子及び原告一朗は、それぞれ七六八万九二五七円及び内金六八七万一二五七円に対する右同日から支払済みまで右同割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1について

(一) (一)は不知。

(二) (二)は認める。

2  同2について

(一) (一)は不知。

(二) (二)のうち、花子が昭和五八年一〇月一三日に被告病院に転院したこと認め、その余は不知。

(三) (三)のうち、花子が本件子宮全摘手術後、偽膜性喉頭気管炎に罹患し、右炎症部から産出された偽膜によって花子の気管喉頭部が狭窄したことは認めるが、その余の事実は不知。

3  同3について

(一) 被告病院への転院時、花子が喘鳴と呼吸困難で著しい不穏状態にあったこと、同五八年一〇月一三日の夜は、呼吸困難、喘鳴があったことは認め、その余は不知。

(二) 花子が同月一四日、依然喘鳴が続いていたものの、呼吸困難の症状が軽快したこと、同日夕方から再び喘鳴及び呼吸困難が増悪したこと、被告病院の看護婦が花子にオピスタン、コントミンを注射したこと、同日午後一〇時以降は、翌日の朝まで医師による診察をしなかったことは認め、その余は不知。

(三) 花子が同月一五日午前七時ころ呼吸困難と苦痛を訴え、喉の切開と呼吸の軽快を求めたこと、被告病院の看護婦が同日午後七時四〇分ころ、花子にコントミンの注射をしたこと、偽膜性喉頭気管炎による喉頭気管部分の狭窄ないし閉塞がさらに増悪した結果、花子が同日午前八時二〇分ころ呼吸停止の状態となり、原告太郎らの急報により駆け付けた医師や看護婦が人口呼吸を行い、間もなく自発呼吸が現れたこと、花子が本件脳障害に陥ったことは認めるが、花子が同日朝方に一旦意識不明の状態となったとの点は否認し、その余は不知。

(四) (四)は認める。

4  同4のうち、花子が本件麻酔の際に行われた気管内挿管を契機として偽膜性喉頭気管炎に罹患したこと、花子の喉頭気管部に偽膜が発生し、同部分の気道狭窄又は閉塞の状態を生じさせたことは認めるが、その余は否認する。

同日午前一〇時五〇分ころ、花子を新潟大学医学部附属病院(以下「新大附属病院」という。)に転院させるため、被告病院内から救急車に花子を搬送する途中に、人工呼吸用のアンビューバッグの抵抗が強くなって、人工呼吸を続けることが不可能になり、チアノーゼが増強した。被告病院の医師らが、バッグの吸引操作をしたところ、直径一センチメートル、長さ六ないし七センチメートル程度の円形状のカニカマボコ状の偽膜が排出された。花子に、不可逆的な本件脳障害が発生した原因は、被告病院内から救急車に花子を搬送する際に、右偽膜が花子の気道を閉塞し、著しい呼吸困難状態を発生させた可能性が考えられる。

5  同5のうち、被告が花子との間で、同人の気管支喘息様の呼吸困難その他の診療をする旨の契約をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  同6について

同6の主張は争う。

(一) 血液ガスは、動脈血を採取して検査をするものであるところ、深夜には技師もいなかったから分析は困難であったし、点滴や静脈注射を行っているのに、更に再三動脈血を採取するのは患者にとっても苦痛である。花子は、酸素吸入等の措置によって小康状態になっていたのであるから、被告病院の医師らが血液ガス分析を行わなかったことに過失はなかった。また、被告病院の医師らは、花子の入院後、直ちに毎分五リットルの酸素吸入、ヘスパンダ(血漿増量剤)、強心剤、利尿剤、副腎皮質ホルモン、気管支拡張剤を投与するとともに、心電図検査、胸部レントゲン写真撮影、検血の検査を行い、その後、循環不全改善剤、電解液輸液、カリウム剤、電解質補液を投与しており、十分な呼吸補助、輸液等の循環の支持療法を行っていた。

(二) 花子が被告病院に入院してから新大附属病院に転院するまでの間は、花子の前記症状が本件子宮全摘手術の際の挿管麻酔を原因とする気管に問題があると考え、専門医である麻酔医の見解と指示に従って気管の治療と全身状態の改善の治療を行った。また、喉頭鏡、気管支鏡による検査は、麻酔が必要であり、また、花子のように不穏状態が強い患者に対して実施することは困難な状況にあった。気管内挿管による気道の確保も、花子の症状が本件麻酔の際に行われた気管内挿管に起因するものと疑われていたことから、再挿管により、これがさらに悪化する危険性があったし、気管内に血腫や創傷があり、これを損傷すると、出血が生じて気管や気管支に血液が充満して窒息する危険性もあった。仮にこれらの検査や気管内挿管を行うにしても、確実な診断がなされたのちに緊急事態に即時に対応できる態勢を整えたうえで、専門医の手で行う必要があったが、昭和五八年一〇月一四日の段階では、それは困難であった。

偽膜性喉頭気管炎は、気管内挿管による麻酔の際の細菌感染、気管チューブによる摩擦、アレルギー性炎症などによって発生すると考えられているが、本件の場合、アレルギー体質という花子の特異な素質が重要な原因の一つとなって発症したものである。そもそも、偽膜性喉頭気管炎は、最近ではほとんど見られない疾患であり、麻酔医でもこれに遭遇した経験のある医師は少なく、麻酔医でない医師がこれに気付くことは困難である。本件では花子の症状から、明らかに他の疾患と識別して偽膜性喉頭気管炎と診断することのできる症状はなく、被告病院から新大附属病院に転院する際に、偽膜を喀出したことによって初めてその診断ができたのであるから、被告病院において、産婦人科医、内科医らが偽膜性喉頭気管炎であるとの診断ができなかったとしても本件医療契約に違反するものではない。

同日午後九時三〇分ころ、高内則男医師(以下高内医師」という。)らが花子を診察した時点では、花子は、眠っており、酸素を毎分五リットルとしたほか、前日とほぼ同様の呼吸補助、輸液等の循環の支持療法を行っていた。花子の気道の状態については、声門浮腫等を疑っていたが、呼吸困難の原因についての確定的な診断は不可能であった。

(三) 花子の血圧は下がっておらず、また、呼吸数もほとんど変化がなく、一般人の平均値と同様であったから、昇圧剤等の特別の措置は不要であった。同日深夜以降、被告病院では、オピスタンとコントミンを交互に投与したが、これによって、花子の症状は、ほぼ同一の状態で推移したのであり、死の危険に瀕するような状況にはなかった。同日午前七時四〇分にコントミンを注射したのちも、特段の異常はなく、間もなく花子が呼吸停止の状態になることは予測できなかったから、人工呼吸、気管内挿管又は気管切開を行わなければならないと考える徴候はなかった。

(四) 被告病院では、専門医である麻酔医の見解と指示に従って、花子の気管の治療と全身状態の改善を行い、同月一四日夜の段階で、これまでの治療では十分な効果がないから、手術の必要性もあると判断し、翌朝から最善の検査治療を行う計画も立てていたが、その前に最終的な診断のつかないまま花子の容態が急変したのであり、被告は全体の治療経過の中で最善を尽くしており、本件医療契約に違反した事実はない。

7  同7は不知。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者

請求原因1のうち、(二)の事実(被告の病院経営)は、当事者間に争いがなく、<書証番号略>によれば、原告太郎が花子の夫、原告弘子が花子と訴外乙山巌との間の嫡出でない子、原告良子及び原告一朗が花子と原告太郎との間の子であることを認めることができる。

二花子が本件子宮全摘手術を受けた経緯

請求原因2のうち、花子が昭和五八年一〇月一三日に被告病院に転院したこと、花子が本件子宮全摘手術後、偽膜性喉頭気管炎に罹患し、右炎症部から産出された偽膜によって花子の気管喉頭部が狭窄したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<書証番号略>及び被告廣川勇及び同高橋隆平の各本人尋問の結果(右両名については、原告の訴えの取下により、訴訟が終了した。)を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  花子は、同年八月三〇日、廣川病院において、廣川医師の診察を受けた結果、子宮筋腫を治療するために本件子宮全摘手術を受けることになり、同年一〇月一〇日、同病院に入院した。本件子宮全摘手術は、同月一一日午後六時三〇分から、廣川医師の執刀で施術され、同日午後八時三〇分ころまでに、無事終了した。その際、麻酔医である高橋医師が花子に対し、気管挿管による全身麻酔(本件麻酔)を施した。高橋医師が本件麻酔の際に、使用した気管内チューブは、ディスポーザブルチューブと呼ばれる滅菌済みの使い捨てチューブであった。

2  花子は、本件子宮全摘手術後、麻酔から覚めると、廣川医師らに痰がからむ、喉が痛いなどと訴え、翌日の一二日には呼吸が苦しいとも訴えたことから、痰の排出困難を和らげる目的で、花子にトローチの服用をさせると共に、花子の喉にネブライザーによる薬剤の散布をした。廣川医師は、挿管麻酔後に、気管に浮腫が生じ、喉の痛みや呼吸困難の症状を訴える患者も時折見かけられることから、花子の症状が同様のものであると考え、経過を観察していた。花子にチアノーゼの症状は認められず、胸部聴診の結果にも異常はなく、肺に雑音も認められなかったが、廣川医師は、呼吸が苦しいとの花子の訴えを受け、同月一三日午前六時に、花子に酸素吸入をさせた。右酸素吸入は、同日午後九時まで続けられたが、呼吸困難の訴えは改善されず、花子が精神的に興奮状態になるなどの不穏状態が増大したため、廣川医師は、花子の症状が肺浮腫によるものではないかと疑い、被告病院への転院の手配を行った。廣川医師は、同日、花子に対し、喀痰検査を行い、気管支から出る分泌物に起炎物質がないか否か調べたところ、同月一五日の検査結果報告では、該当する起炎物質は認められなかった。

三被告病院における治療経過

請求原因3のうち、被告病院への転院時、花子が喘鳴と呼吸困難で著しい不穏状態にあったこと、昭和五八年一〇月一三日の夜は、呼吸困難、喘鳴があったこと、花子が同月一四日、依然喘鳴が続いていたものの、呼吸困難の症状は軽快したこと、同日夕方から再び喘鳴及び呼吸困難が増悪したこと、被告病院の看護婦が花子にオピスタン、コントミンを注射したこと、被告が同日午後一〇時以降翌日の朝までの間、医師による診察をしなかったこと、花子が同月一五日午前七時ころ呼吸困難と苦痛を訴え、喉の切開と呼吸の軽快を求めたこと、被告病院の看護婦が同日午前七時四〇分ころ、花子にコントミンの注射をしたこと、偽膜性喉頭気管炎による喉頭気管部分の狭窄ないし閉塞がさらに増悪した結果、花子が同日午前八時二〇分ころ呼吸停止の状態となったこと、原告太郎らの急報により駆け付けた医師や看護婦が人工呼吸を行い、間もなく自発呼吸が現れたこと、花子が本件脳障害に陥ったこと、花子は意識が戻ることなくいわゆる植物状態となり、同五九年九月二三日まで治療を受け、同日死亡したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<書証番号略>、証人高内則男及び同後藤司郎の各証言、被告(当時)廣川勇及び同高橋隆平の各本人尋問の結果並びに原告進本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  昭和五八年一〇月一三日、被告病院の復院長で産婦人科医であった後藤司郎(以下「後藤医師」という。)は、廣川医師から転院の依頼を受けた際に、同人から、花子が喘息様の呼吸困難を起こしていること、肺炎の可能性もあることなどの説明を受け、被告病院における病室の手配を行った。

2  花子は、同日午後九時三〇分ころ、救急車で廣川医院から被告病院に運ばれた。被告病院で待機していた後藤医師、産婦人科医の高内医師、内科医の宮川隆らが、花子の症状を診察したところ、チアノーゼはなかったが、呼吸困難と喘鳴があり、また、聴診の結果、両肺に雑音を認めた。そして、花子の不穏状態(興奮状態)が非常に強く、直ちにはレントゲン写真の撮影をすることができない状態であったことから、鎮静剤を注射し、花子の鼻と口を覆う形で一分間に五リットルの酸素を吸入させた。高内医師らは、花子の症状の原因は、気管支炎、喘息、肺炎、肺浮腫、心不全等のいずれかにあるのではないかと考え、花子に対し、強心剤、利尿剤、副腎皮質ホルモン、気管支拡張剤を投与した。その後、花子の不穏状態が弱まり、落ち着いてきたことから、高内医師らは、花子に対し、心電図検査を行い、レントゲン写真を撮ったところ、異常は認められず、また、喉頭部を観察すると、発赤及び浮腫が認められた。高内医師らは、これらの所見から、花子の症状の原因が本件麻酔の際に行われた気管内挿管によるものではないかと考え新大附属病院救急部部長で麻酔医の益子助教授(以下「益子医師」という。)の指示に従い、本件麻酔を施した高橋医師に来診を求め、花子の診察をさせた。高橋医師は、益子医師とも相談したうえ、高内医師らに「花子の症状の原因は、喉頭浮腫又は気管支炎によるものではないか。再挿管すると、また同じ所を傷付ける恐れがある。現在の症状であれば、ネブライザーを使用し、抗生物質を投与して様子をみるのがよい。粘液が気管内部に詰まっている可能性があるから、喀痰の溶解剤を入れて頻回にネブライゼーションを行い、吸引をして様子をみるのがよい。」と説明し、高内医師らは、これに従い、ネブライザー等による保存的治療を施した。

同日午後一一時ころ、被告病院では、花子に対し、循環不全改善剤、電解液輸液、カリウム剤、電解質補液を投与した。

3  花子の喘鳴の症状は、同月一四日午前〇時三〇分ころにはやや軽減し、同日午前二時ころには呼吸が楽になった様子で花子は、看護婦に対し、喉頭痛を訴えた。そして、その後も花子の喘鳴と咽頭部痛の訴えは続いたが、花子は、看護婦に対し、同日午前三時ころ「呼吸はよっぽど楽だ。」、同日午前四時ころ「呼吸は楽ではないが、前より苦しくなった様でもない。」、同日午前五時ころ「楽になった。」、同日午前六時ころ「大分楽になった。」旨を告げ、また、花子の喘鳴の症状も軽快した。同日午前八時三〇分ころには、花子は、看護婦に対し、「呼吸よりも喉がぜいぜいして苦しい。」旨訴えたほか、「ネブライザーを続けると苦しい。」旨訴えるようになり、看護婦は、ネブライザーの使用を一時中断して対応した。

4  同日午前九時二〇分ころ、高内医師は、花子を診察し、血液ガス分析検査(検査の結果、酸素分圧が六〇mmHg、炭酸ガス分圧が四六mmHgであった。)を行うと共に、花子に対し苦痛を和らげる目的で合成麻薬であるオピスタンを注射した。その後、夕方まで、花子の呼吸困難の症状は、一進一退の小康状態で推移したものの、意識は清明で、チアノーゼも認められかった。同日午後四時三〇分ころ、高内医師が診察し、血液ガス分析検査を行ったところ、酸素分圧が高すぎることが判明し(検査の結果、酸素分圧が二六一mmHg炭酸ガス分圧が四八mmHgであった。)、酸素吸入の量を一分当たり三リットルに減量した。

5  同日午後五時ころから花子の喘鳴は強度の状態になり、同日午後五時五〇分ころ、高内医師が花子を診察した際には、口唇色不良で、爪床がチアノーゼ気味の状態であった(血圧測定の結果は、最高血圧が一三八mmHg、最低血圧が七〇mmHgであり、脈拍は、毎分一〇八であった。)。その後、花子は、眠ったり目を覚ましたりしていたが、その間、随時ネブライザーを使用し、同日午後八時〇五分ころには、呼吸困難による苦痛を和らげるためにオピスタンを注射した。花子は、同日午後八時三〇分ころは眠っており、依然として喘鳴と努力呼吸の状態が続いていたが、チアノーゼはなかった。

その後、花子の症状は一進一退の状態で推移していたが、同日午後九時ころ、花子の喘鳴と呼吸困難の状態が増悪し、不穏状態が強くなったことから(血圧測定の結果は、最高血圧が一四〇mmHg、最低血圧が八〇mmHgであり、脈拍は、毎分八八であった。)、被告病院の看護婦は、ポケットベルで高内医師を呼出した。高内医師は、同日午後九時三〇分ころ、後藤医師と被告病院の産婦人科医長である新井繁(以下「新井医師」という。)と共に被告病院に戻って花子を診察したところ、花子は既に眠っており、チアノーゼはない状態であったが、日中と同程度の喘鳴が続いていたことから、酸素吸入量を一分当たり五リットルに増量した。高内医師らは、三〇分程度、花子の様子を観察していたが、特段の変化がなかったため、看護婦に対し、チアノーゼなどの症状がない限りこのまま様子をみてよい、脈が速くなる、チアノーゼが現れる、ハートモニターに異常が現れる、あるいは不穏状態が強くなるなどの異常が出現した場合に連絡すること、苦痛を訴えたら二時間程度間隔を置いてオピスタンを注射すること等を指示した。また、高内医師らは、花子の症状の改善が進まないことから、翌朝、胸部外科、耳鼻科、麻酔科らの専門医の協力を得て必要な検査を行い、必要ならば手術も検討しなければならないと判断した。

同日、午後一一時四〇分ころ、花子が苦痛を訴えたため、被告病院の看護婦は、オピスタンを注射した。

6  同月一五日午前〇時ころ、花子は、被告病院の看護婦に対し、「同じことをばかりやっている。」と言って怒りだし、午前〇時三〇分には、「がまんできない。早く注射をしてほしい。」旨怒鳴り、苦痛のためか起上がろうとするとの家族の申し出があった(血圧測定の結果は、最高血圧が一七〇mmHg、最低血圧が一〇〇mmHgであった。)。看護婦は、一時間ほど前にオピスタンを注射したばかりであったため、電話で高内医師に相談したところ、間隔が一時間半くらいであれば、鎮静剤であるコントミンとオピスタンを交互に注射するようにとの指示を受け、看護婦は、同日午前〇時三〇分ころコントミンを注射した。同日午前一時一五分ころには、花子は、落ち着いて眠っており、チアノーゼも認められなかったが、発汗が多量にあり、努力呼吸の状態であった。

7  同日午前二時二〇分ころ、花子は、目を覚まし、「苦しい。」とベッド上で激しく体を動かし、被告病院の看護婦が花子の足に触ると、「触るな。」などと言っていたが、チアノーゼはなかった。看護婦は、花子の興奮状態を鎮静化されるため、花子に対しオピスタンを注射した。同日午前四時ころ、花子に苦痛の表情は見られなかった。しかし、同日午前四時二〇分ころ、花子は、喘鳴と呼吸困難状態で、苦しそうに体を動かし、発汗もみられ「熱い。」と言って毛布をはね除けたり、看護婦が血圧を測定しようとすると、「また血圧か。」と文句を言ったりしており(血圧測定の結果は、最高血圧が一五〇mmHg、最低血圧が九〇mmHgであり、脈拍は、毎分一五八であった。)、看護婦は、コントミンを注射したが、チアノーゼは認められなかった。

8  同日午前五時三〇分ころ、花子は、目を覚まして看護婦に対し、「苦しいから早く手術室へ連れていって手術しろ。」などと言って手足を動かして暴れ、看護婦が脈拍を測定しようとするとこれを拒否した。看護婦は、花子の興奮状態を鎮静化させるため、花子に対しオピスタンを注射した。同日午前六時ころには、花子は、眠っており、脈拍は毎分一二四で、発汗が多量に認められたが、チアノーゼ、冷感もなく、一般状態は悪化していなかった。

同日午前七時ころ、花子は、看護婦に対し、再び手術をするように求めたことから、看護婦は、一般状態にさほどの変化はないが不穏状態が強い旨高内医師に電話連絡したところ、高内医師は、手術をするか否かは、一五日の検査の結果次第であるし、場合によっては耳鼻科医に診察を求めたりする必要があるとして、もうしばらく我慢させるように看護婦に伝えた。花子は、看護婦に対し、不平を言い、苦痛を訴えていたので、看護婦は、同日午前七時四〇分ころ、コントミンを注射した。その後、花子は、やや落ち着いた状態になったが、午前八時二〇分ころ、突然、呼吸が停止して意識がなくなり、花子の様子をみていた花子の両親が病室の廊下にいた原告太郎を呼び入れ、原告太郎がベルで看護婦に急変を連絡した。看護婦が駆け付け、看護婦が花子の脈拍を測ったところ、微弱になった後停止し、血圧も測定不能となった。看護婦は、花子に対し直ちに心臓マッサージと人工呼吸を開始した。被告病院の産婦人科医である畠山弘子医師、新井医師らが花子の気管に挿管したところ、間もなくして自発呼吸が出現した。同日午前八時四〇分ころ、花子の病室に到着した高内医師が、花子の人工呼吸用のアンビューバッグを揉んでいると、時折、非常に抵抗が強くなることがあったので、吸引して痰を除去した。被告病院では、新大附属病院救急部に電話を架け、同大学医学部麻酔科助教授の松本医師に来院を求めた。同日午前一〇時ころ、花子の右上肢に軽い痙攣が起こり、その後増強し始め、花子に脳浮腫が発生しているとも考えられたことから、副腎皮質ホルモン、抗痙攣剤等を投与し、新大附属病院に搬送することにした。

高内医師らが花子を病室から病院の入口に待機していた救急車に運び入れようとしたところ、病院の出口付近で急にアンビューバッグの抵抗が強くて揉めない状況になり、チアノーゼが急速に増強してきたため、直ちに陣痛室に運び入れて、アンビューバッグの吸引操作を繰り返していたところ、直径一センチメートル、長さ六、七センチメートルの円柱状のカニカマボコ状のものが排出され、チアノーゼが消失した。

9  花子は、同日、新大附属病院に転院し、気管切開術を受け、同年一一月被告病院に再入院し、六ケ月間治療を受けたが、その間にも白色の偽膜が数回産出されることがあった。その後、花子は、信楽園病院、文京病院と転院したのち、意識が戻ることなく同五九年九月二三日死亡した。

四本件の脳障害の発生時期

前記認定のとおり、花子は、同五八年一〇月一五日午前八時二〇分ころ、呼吸停止及びそれに引き続く心停止の状態になったものであること、心停止後、被告病院の看護婦及び医師らが直ちに花子に対し心臓マッサージ及び人工呼吸を施しているが、低酸素状態が回復した時期が必ずしも明らかではないこと、同日午前一〇時ころ、花子の右上肢に軽い痙攣が起こり、その後増強し、この時点で脳浮腫が疑われたこと、確かに、新大附属病院に搬送しようとした際に、急にアンビューバッグの抵抗が強くて揉めない状況になり、チアノーゼが急速に増強してきたため、直ちに陣痛室に運び入れて、アンビューバッグの吸引操作を繰り返して花子の気管部から偽膜を取り除いた事実があったが、その際に、花子に呼吸停止や心停止の事実があったとは認められないことなどを総合すると、本件脳障害は、もっぱら、突然の呼吸停止以降、人工呼吸及び心臓マッサージによる蘇生術が開始され、有効な呼吸と循環が回復するまでの無(低)酸素状態によって発症したものと推認するのが相当であり、右認定を左右するに足りる証拠はない。

五本件医療契約の締結

被告が花子との間で、花子の気管支喘息様の呼吸困難その他の診療をする旨の契約をしたことは、当事者間に争いがない。

六偽膜性喉頭気管炎

前記認定の事実、<書証番号略>、鑑定の結果、証人高内則男及び証人後藤司郎の各証言並びに被告(当時)廣川勇及び同高橋隆平の各本人尋問の結果を総合すると、粘膜表面の広い部分に渡って滲出した滲出液中に、繊維物が多量に混ざった場合に、滲出液が濃厚な液体ないし固体の状態となって繊維素及び壊死組織からなる膜状の偽膜を形成することがあり、喉頭気管部にこの偽膜が形成される炎症を偽膜性喉頭気管炎ということ、偽膜性喉頭気管炎は、気管内挿管麻酔を行った場合に発症する例が報告されているが、発症の希な症状であること、偽膜性喉頭気管炎は、長時間の麻酔、挿管操作時の外傷、カフ(気管チューブの先端周囲部の空気逆流を防ぐ風船)の圧力の過大、気管粘膜の損傷に細菌感染が加わる場合、又はアレルギー体質等によって発症するといわれているが、発症の機序については必ずしも明確になっていないこと、挿管麻酔にディスポーザブルチューブを使用するようになってからは発症例の報告が少なくなり、昭和五八年ころには、麻酔科の教科書にも記述がなく、麻酔医の中にもこの疾患についての知識のない者が増えていたこと、偽膜性喉頭気管炎のうち、挿管操作時の外傷、カフの圧力の過大、アレルギー体質等の患者の体質等を主たる原因とすると考えられるものについては、麻酔科及び耳鼻咽喉科の文献上同五〇年代の前半ころまでの症例が報告されていることを認めることができる。

七被告の債務不履行の有無

1  請求原因6(一)について

前記認定のとおり、同五八年一〇月一三日の段階では花子に喘鳴及び呼吸困難の症状と強い不穏状態は認められたもののチアノーゼはなかったこと、花子に対し、酸素吸入を施行し、強心剤、利尿剤副腎皮質ホルモン及び気管支拡張剤を投与したところ、不穏状態が弱まったこと、高内医師を通じて新大附属病院の救急部の麻酔医である益子医師から「再挿管すると、また同じところを傷つける恐れがある。現在の症状であれば、ネブライザーを使用して抗生物質、喀痰の溶解剤の投与をして様子をみるのがよい。」との指示を受け、被告病院の医師らはこれに従ったほか、心電図検査及び胸部レントゲン写真撮影を行い、循環不全改善剤、電解液輸液、カリウム剤、電解質補液を投与していること、翌一四日には呼吸困難の症状も改善し、少なくとも同日夕方ころまでは小康状態を保ったことの各事実に鑑みれば、被告病院としては、同月一三日の段階で必要な呼吸補助、輸液等の循環の支持療法を行っていたというべきであり、原告らの主張する本件医療契約の違反があったとは認められない。

なお、原告らは花子に対する血液ガス分析を随時行って代謝の状況を把握するべきであったとも主張し、同月一三日の段階で、被告病院の医師らが血液ガス分析検査を行っていないことは前記認定のとおりである。しかしながら弁論の全趣旨によれば、血液ガス分析検査は、動脈血を採取して検査をするものであるところ、深夜には技師もおらず分析は困難であったとも考えられること、前記認定のとおり、被告病院では、この段階で必要とされる呼吸補助、輸液等の循環の支持療法を行っていること、翌一四日には呼吸困難の症状も改善し、少なくとも同日夕方ころまでは小康状態を保ったことの各事実に鑑みると、同月一三日の段階で、血液ガス分析検査をしなかったことが、本件医療契約に違反するとは認められない。

2  請求原因6(二)について

(一)  まず、原告らは、被告病院の医師らが喉頭鏡や気管支鏡等を用いて診察したうえ、右症状の発生の経過、部位、症状から判断して遅くとも同月一四日時点では、喉頭気管の炎症と右炎症等による滲出物や粘膜などの固まり(偽膜)かあるいは浮腫などによって花子の気道に狭窄があり、その増悪傾向が懸念されるとの判断をすることができた旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、被告病院では、前夜から花子に酸素吸入やネブライザー等による保存的治療を施し、同月一四日午前三時ころから呼吸困難の症状も軽快していること、同日夕方ころまでは、花子の呼吸困難の症状は小康状態で推移したこと、その間、チアノーゼもなく意識も清明であったこと、偽膜性喉頭気管炎は、同五八年当時既に、発症例の希な疾患となっており、麻酔医の中ですらこの疾患についての知識のない者も増えていたこと(弁論の全趣旨によって認められる。)などの事情に鑑みると、喉頭気管部の炎症により滲出物や粘膜等の固まりが生じ、これによる花子の気道狭窄が増悪しているとの判断を被告病院の医師らが下すことが可能であったとは直ちにはいえないというべきである。

また、喉頭鏡や気管支鏡は、専門の医師が患者に対して麻酔を施し、筋肉弛緩剤を投与するなどして行うものであり、患者に相当程度の苦痛を強いるものであること(証人後藤司郎の証言によって認められる。)に鑑みると、花子のように不穏状態(興奮状態)の強かった患者に喉頭鏡や気管支鏡を使用して気管内部を調査することは困難であったというべきである。そして、前記認定のとおり、花子の症状が本件麻酔の際に行われた気管内挿管に起因するものと考えられ、気管内面に損傷箇所がある可能性も否定できなかったことに照らすと、安易な喉頭鏡や気管支鏡の使用は避けるべきであったとも考えられ、被告病院の医師らが、花子に対し喉頭鏡や気管支鏡を使用しなかったことが、直ちに本件医療契約に違反するとは認められない。

(二)  また、原告らは、同日夕方以降、呼吸困難が再発して継続し、同日午後九時三〇分には花子の呼吸促迫が一層顕著になったのであるから、血液ガス分析を行う一方、右検査結果及び全身状態をみて、適宜気管挿管や気管切開、人工呼吸等の呼吸補助、輸液等の循環の支持療法をすべきであったのにこれらの処置を怠ったと主張する。

確かに、前記認定のとおり、同日午後五時ころから再び花子の喘鳴が強度になり、同日午後五時五〇分ころには一時的ではあるが口唇色不良、爪床がチアノーゼ気味の状態となっているが、血圧測定の結果は、最高血圧が一三八mmHg、最低血圧が七〇mmHgとさほどの変化はなく(<書証番号略>によれば、同日午前九時一〇分の血圧測定の結果は、最高血圧が一二二mmHg、最低血圧が八六mmHg、同日午後一時の血圧測定の結果は、最高血圧が一三〇mmHg、最低血圧が九〇mmHgであったことが認められる。)、また明確なチアノーゼの症状はなかったこと、その後、花子の喘鳴及び努力呼吸の症状は、一進一退の状態で推移し、同日午後九時ころには再び花子の喘鳴と努力呼吸の症状が増悪し、不穏状態が強くなったが、血圧測定の結果は、最高血圧が一四〇mmHg、最低血圧が八〇mmHgであり、三〇分後に高内医師、新井医師、後藤医師らが診察したころには、花子は、眠っており、花子の喘鳴及び努力呼吸の症状も同日の日中と同程度であったこと、酸素吸入量を一分当たり五リットルに増量したこと、花子の喘鳴と呼吸困難の症状は、本件麻酔の際に行われた気管内挿管に起因するものと疑われていたことから、再挿管によりこれがさらに悪化する恐れもあったことの各事実に鑑みれば、同日午後九時三〇分の段階で直ちに気管挿管や気管切開、人工呼吸をする必要性はなかったというべきである。

また、同月一五日午前〇時まで、入院時と同様の点滴を行っていたから(<書証番号略>によって認められる。)、必要な輸液措置は行っていたということができ、花子の症状が、症状が改善した同日の日中の状態に比較して悪化したといっても、チアノーゼもなく(一時的に、口唇色不良と爪床にチアノーゼ気味の状態があったにすぎない。)、症状は一進一退の状態で、更に一分当たり五リットルの酸素吸入を行っていることに鑑みれば、血液ガス分析検査を行わなかったことが本件医療契約に違反するとは認められない。

3  請求原因6(三)について

前記認定のとおり、同月一五日午前〇時ころから花子は、不穏状態が強くなり、同日の朝方まで、検査の度に被告病院の看護婦の応対に不平を言うなど興奮状態が継続し、発汗が多量に認められ、血圧及び脈拍とも上昇したが、それ以外にはチアノーゼも認められず、一般状態は悪化していなかったこと、被告病院の看護婦は高内医師の指示に従い、同月一四日午後一一時四〇分ころから同月一五日午前七時四〇分ころまでの間にオピスタンとコントミンを交互に三回ずつ注射したこと、注射後は、花子の不穏状態が和らぎ、花子は眠ったり、覚醒したりしていたこと、花子は、同日午前七時四〇分ころコントミンの注射をされた後、やや落ち着いた状態になっていたが、同日午前八時二〇分ころ突然呼吸が停止し、原告太郎の急報で駆け付けた被告病院の看護婦らが人工呼吸、心臓マッサージ等の蘇生術を施したことの各事実に鑑みれば、同日午前〇時から突然の呼吸停止までの花子の一般状態にさほどの変化はなく、客観的な状態に比して花子の不穏状態(興奮状態)が強かったにすぎず、これを鎮静化して花子を休ませるためにオピスタンとコントミンを使用したことに格別問題はなかったというべきであり(オピスタンとコントミンを交互に使用した結果、花子が呼吸停止に陥ったと認めるに足りる証拠もない。)、被告において血圧ガス分析、人工呼吸、輸液を行い、昇圧剤を投与すべき義務もなかったというべきである(点滴は、同日午前〇時ころ止めているが、点滴の連続使用の弊害を避ける必要があったものと推認される。)。

また、花子の呼吸停止は、同日午前七時四〇分に花子がコントミンの注射を受けて、やや落ち着いた状態になった後に突然起ったものであり、その間に被告病院の医師が人工呼吸、気管内挿管、気管切開をする機会はなかったといわざるを得ず、さらに、原告らは、心停止に備えて心マッサージ、人工呼吸などの体制を整え、心停止に備えるべきであったとも主張しているが、花子の一般状態から判断して、突然呼吸停止が起きるとは予測できなかったものであり、原告太郎の知らせで被告病院の看護婦らが直ちに蘇生術を行っているから、この点についても本件医療契約に違反するものとは認められない。

八結論

以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、本訴請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官太田幸夫 裁判官戸田彰子 裁判官永谷典雄)

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